仕事とアイデンティティ、チームとなる夫婦の要素とは?
変化する女性のアイデンティティ
出産後、女性がアイデンティティに悩む話をよく聞くが、これは現代ならではかもしれない。
女性の社会進出は時代とともに増え続け、1997年には専業主婦世帯と共働き世帯の割合が逆転する。
ちなみに、離婚率も90年代から増えていく。女性の社会進出と離婚率上昇は関連があるようだ。
ユカさんの義母は専業主婦だったが、ユカさんは社会に出て初めての役割が「働く人」だった。義母も働いていたかもしれないが、当時の世相を考えると業務を限定された一般職(責任が低く、今でいう派遣に近い立場)などである可能性が高い。
学生→低責任ジョブ→妻→母
だったものが現代では
学生→高責任ジョブ→キャリア構築→妻→母
といった構図に変わっている。
母になるタイミング(20〜30代)でキャリア構築が完全に終わっているわけがないから、キャリア構築の途中で母にジョブチェンジすることになる。
自身のキャリアが未完成である一方、夫はキャリアを順調に育て続けている。それはもしかしたら私だったかもしれないのに。そんな思いを抱く人もきっといるはず。
そして、社会に出てすぐの役割が「責任を求められる仕事」であった場合(派遣やアルバイトではなく)、その役割がアイデンティティにプリインストールされる。アイデンティティの初期設定が「働く人」であり、人生の喜びは自己成長や目標達成時の快感へ設定される。
そのため、現代では出産後にアイデンティティ迷子になる女性が増えているのではと思われる。
海外留学体験者が日本での暮らしにフィットできず、また海外暮らしを選ぶことに似ている。一度体験してしまったら二度と「あの頃」には戻れない。
女性は男性と違い、キャリアが完成する前に結婚や出産のために退社することになる。そのため、男性よりも未練が強く残るのかもしれない。
思い描いていたキャリアが中途半端なまま終わりを告げるため消化不良におちいり、子育てをしながらも、いつまでも自らのキャリアへの思いがくすぶり続ける。
40代になって思うが、キャリアなんて思い通りには進まない。 社内を見渡せば自分の天井が見えてくる。 課長止まりか、部長止まりか、部門長にはなれず、ましては役員になんてなれるわけもない。
やりたかった仕事が必ずしもできるわけでもなく、 自らのキャリアのためでもなく、自己実現を追求するためでもなく、家族を養うためにただ働き続ける。多くの男性にとってキャリアとはそういうものだ。
だが、「その世界」に行けなかった女性にとっては違う。憧れだけが膨れ上がり、「 そこにいる」夫への恨みも加速する。
アイデンティティとは一体何なのか? それは必ず仕事でなければいけないのか? なぜ仕事とアイデンティティは一体化しやすいのか?
それは仕事がもっとも身近な社会との接点だからだろう。
であるならば、社会との接点を作ることで失われたアイデンティティを新しいものへと構築できるのではないだろうか。
ぼくも本業での仕事は世界との大きな接点になっているが、それは自分のアイデンティティと同一化しているわけではない。
だからこそ、ぼくはこのポッドキャストを続けてるのだろう。自分が知ったことを多くの人に伝えたい。ぼくの言葉が多くの人の心に波紋を呼び、その波紋によってその人の人生に少しでもポジティブな影響を与えることができたら何よりも嬉しい。
今のぼくにとって、アイデンティティは夫婦関係学ラジオと密接に絡まり合っている。もちろんそれだけではなく、妻や子供たちの関係、地域コミュニティとも結びついている。
ただ、自分が自分でいられる場所、自分らしく存在し続けられる場所を作るということがアイデンティティ迷子にならないヒントなのかもしれない。ぼくにとっての夫婦関係学ラジオのように。
自分が求めているものを知る
ユカさんも元夫さんも「仕事」が人生の主軸にあったのかもしれない。心の奥から勝手に溢れ出る渇望。なにをしていても吸い寄せられる魔力を持った泉。
こんこんと湧き出るその水が人生を潤してくれることもあれば、あまりにも熱を帯びたその熱湯によって周囲の人間が傷つくこともある。なぜなら、あまりにも熱量の高い活動は周囲の犠牲をともなうからだ。
ぼくの話で言うと、土日の午前中に Podcast インタビューをすることがある。 もちろん、子供たちは家にいる。 元気すぎる3兄弟の相手を妻に任せることになる。また、編集作業のために時間をもらうこともある。
妻はNOとは言わないのだが、 心から賛同しているというわけでもない。家事育児の負担を一人で背負わなければならないからだ。ぼくにとっての夫婦関係学ラジオへの熱量というのはあまりにも 自然すぎて、その温度の高さの自分では気がつくことがない。妻とのコミュニケーションの中で気がつかされることが多いのだ。
自分が心から渇望できるものを持つことはとても大切だ。だけどそのために家族との時間調整が入るのであれば、自分が抱いている情熱の温度の高さを常に定点観測する必要があるのだと思う。
自分が心から望むことを把握し、受け止め、客観的に見つめ、家庭生活とのバランスを考える。それは家族を持った人間に責任なのだろう。
夫婦はチームとなる。
サチヨさんもユカさんも「夫とチームになりたかった」といった。これは夫婦にとって必要不可欠な要素。なぜなら、インタビューをさせていただいたほとんどの方が同じことを言うからだ。
世帯経営ノート生みの親である長廣ご夫婦は「私たち(夫婦)の答えを作る」と語り、家事シェア研究家 三木智有さんは「チーム家事」を提唱し、これからの配信だが、元Appleシニアマネージャーであり、語学学校Brighture経営者である松井博さんも「夫婦はチームである」と語っていた。
夫婦はチーム。
そうであるならば、どうすればチームになれるのだろうか?
心が望んでやまない情熱があることは悪いことじゃない。長廣ご夫婦は夫婦の幸せが人類全体の幸福につながると信じて、夫婦で起業した。松井さんはアメリカ本社でのチャレンジのために、まだ小さいお子さん二人を連れて移住した。
これらのケースはどちらもパートナーの合意が取れており、課題に対してもともに乗り越えようという姿勢がある。
パートナーにとってもその決断は自分ごとであり、まさに当事者としてとらえているのだ。両者に共通するのはオープンハートなコミュニケーションだ。
自分が何を望んでいるのかを伝えることは簡単だろう。
仕事に集中したい。起業したい。移住したい。
だが、なぜそうしたいのか?
その理由は?
理由の奥にある欲求は?
そこまで自分を深堀し、相手に伝える必要があるのだろう。
この課題にはぼくもよくぶつかっている。わかってくれるはずという思い込みのせいで、ぼくをドライブさせる真の理由を深堀せず、伝える努力をおこたりがちだ。
そもそも、自分の欲求は自分にとっては当たり前のことなので、深掘りしようとする気がなかなか起きてこない。
だが、夫婦が一緒に生きていくならばそうも言っていられないんだ。自分の渇望は?その渇望はどこからやってくるのか?その欲求はどういうものなのか?その欲求が生まれた真の理由はなんなのか?
ぼくらはパートナーに言葉を伝える前に、自分自身と向き合うべきなのだろう。
来週の夫婦関係学ラジオでは、ユカさんの後編をお届けします。離婚と再婚を経験するなかで、ユカさんの人生の主軸はビジネスにあった。「これが私のライフワーク」とも彼女は言った。
そんな彼女が離婚を振り返り、今思うこととはなんなのか?
来週月曜日(6/17) 朝5時からの配信を楽しみにお待ちください。
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