クリエイティビティが女性に与える影響とは?
役割からの解放
社会主義が徹底しているキューバでは、スーパーマーケットがほとんどない。自由主義な商売が規制されているからだ。
だが、最近ではネットを通じて他国との差に気がついた市民が不満の声を上げ始めている。そのため、軒下や路面で自由に商売をしてもいいという法律ができた。
ぼくは出産後の女性の「役割(母や妻)からの解放」を耳にするたび、キューバを思い出す。
かつて女性には参政権がなく、勉学を推奨されず、責任ある仕事につくことも許されなかった。しかし、1986年に男女雇用機会均等法が施行され、少しづつ世の中は変わる。
採用、配置、昇進、解雇などにおける性別による差別は禁止され、妊娠中や出産後の体調管理も企業は配慮するようになる。そのため、女性の社会進出は進み、現在では25歳から44歳の女性は78%以上の就業率となっている。
わずか数十年の間に女性の社会進出は「あたりまえ」のものとなり、人口減少によりここ数年では「推奨される」ものへと変化した。
ぼくが働く会社の20代の女の子たちの多くは生き生きと働いている。そりゃ、多少は不満に思うこともあるだろうけど、好きな会社で好きな業務をし、女性だからという理由で業務を制限されることもない。
週末は同期たちと飲みに行ったり、遊びに行ったり、推し活に励んだり、人生を謳歌しているかのように見える。だが、それも子どもを産むまでの話だ。短い夏が終わり、冷たい風を感じる秋の到来のように、変化は突然やってくる。
産休、育休の期間は仕事にはつけず、育児中心の生活となる。子どもが1〜2歳になり、人によっては職場復帰したり、パートタイムを選んだり、専業主婦を選ぶ人もいる。
家事と子育てに追われ、かつてのような人生のきらめきは過去のものとなる。もちろん子育ては崇高なものであり、それ自体が楽しい!という人もいるだろう。
そして、女性が(もちろん男性もだが)自己実現だけを追い求め、子育てにコミットしなければ人類は減少しやがて死滅する。
だが、不安定なネット回線を通じて豊かな先進国の姿を見てしまったキューバ労働者が不満の声を上げたように、「ありのままの自分の欲求を謳歌した」女性たちの多くは、過去と今を比較してしまう。
好きなことができ、好きなときに場所に出かけられ、自分のためにすべての時間を使えたあの頃。
泣き止まない子どもをあやし、保育園と職場を行き来し、寝る前のわずかな時間や通勤時間の隙間だけを唯一の自分の時間についやす。
ケアラーとなることが大人の条件である。
と、ぼくは以前の記事で書いた。今でもそう思っている。人は誰かをケアすることで小さな王国から抜け出し、砂漠とサバンナの広がる大人の世界へと歩を進めていく。王位を放棄し仏教を開いたブッダのように。
ケアされる者からする者への変化は、責任感と慈悲の感情をさずけてくれる。
だが、それだけでは疲れちゃうのも確かだ。ケアばかりの日々は心を乾かし、一本の草も生えない情緒的飢餓をもたらす。
夫婦がお互いにケアし合う関係が理想だろうが、夫だって疲れてる。
ビジネスの世界は男性の流儀を中心に回っている。有無を言わさない縦社会、情報伝達という名の乾いたコミュニケーション。そういったストレスを職場でも家庭でも発散できず、自分自身のストレスの発生源すら気がつけない。
ぼくらは、夫であること、男であること、これらに疲れることがあるのだ。
同時に女性も妻であること、母であることに疲れることがある。
認めちゃいけないと思うこともあるだろうけど、ときには素直になったっていいんだ。
そんなときもあるよね。疲れちゃうときもあるよね。あなたはいつもがんばっているもの。時には、そんな優しさを自分に向けてあげよう。
戦略的に役割から降りていいんだ。そして、ちょっと元気になったら、また戻ってこよう。こっちの世界とそっちの世界は、いつだって行き来できるんだから。
役割から降りられる“なにか“。
イラスト制作、音楽制作、動画制作、もしくは料理作り。
人によって様々だろうが、生産的なものほど役割から降りやすくなるんじゃないかと思う。なぜなら、生産活動とはアイデンティティの追求であり、世界とのつながりでもあるからだ。
世界とつながる
なぜ、生産的活動(イラスト、音楽、音声、動画など、なんならかのクリエイティビティを必要とする制作活動)がアイデンティティの追求になるのか?
自分だけの表現物を作れるからだ。
世界でたったひとつのオリジナル。自分の心のままに制作したその作品は世界に二つとなく、誰かが真似することもできない。
クリエイティヴ作品にはその人の感情や生き様が表現される。同じ題材を描いてもタッチや色彩は異なり、同じ楽曲を弾いてもそこに乗る感情は人それぞれだ。
それがオリジナル作品となれば、まさに千差万別。その作品はあなたにしか紐づかないあなただけのものだ。
上手い下手の世界じゃない。そのクリエイティヴの価値はあなただけが知っている。
ぼくの記事は人から学んだ「読まれやすいフォーマット」に落とし込んで書くことが多い。だけど、そこに宿る感情や息づかいはぼくにしか表現できないものだ。
ぼくの体験はぼくにしか体験していないものであり、そのオリジナルの体験から紡ぎ出される物語もまた、ぼくだけのもの。
そして、世界とのつながり。
作品を発表すれば、多くの人があなたの作品に触れることになる。もちろん時間がかかるケースもあるだろうが、続けていけば必ず誰かは注目してくれる。
あなたの作品はあなたのアイデンティティが色濃く反映されたオリジナルなものだからだ。一点ものの絵画などの芸術品に近い。
ぼくは4年前から音声配信を始めた。ブログは10年前から始め、作っては潰し、また作り直しては潰しを繰り返している。noteは6年ほど前から真剣に書き始めた。
ブログとポッドキャストを始めた頃、まだまだPV数が少ないにも関わらずいくつかの連絡をいただいた。その多くは夫婦関係相談だった。
会社帰り、スタバの硬い椅子に座り、2時間かけて連絡者にメール返信した日のことを今でもよく覚えている。その出来事は「夫婦関係相談サービス」を作るきっかけにもなった。
また、note記事がXでシェアされるようになった頃、家事シェア研究家の三木さんとも出会いがあった。
東中野のバー雑談(ポッドキャスター御用達のバー兼収録スタジオ。すごくオシャレだから一度行って欲しい!)で一緒にポッドキャストを収録したり、何度かご飯を一緒に食べ、発信活動に関して相談したり、出版記念パーティにも呼んでいただけたり、なんやかんやとめっちゃお世話になっている。
それから、世帯経営ノートを発売されているナガヒロご夫婦。夫婦関係学ラジオへのゲスト出演交渉をきっかけに、夫婦会議アンバサダーもさせていただいている。
他にも執筆サークルでお世話になり、Voicyにもゲスト出演させていただいた野本響子(のもきょうさん)さん。Brighture English Schoolの松井博さんともポッドキャストコラボをさせていただいた。
今回、ポッドキャストに2回も出演してくださった、かもめさん、ふるりさん、ミワカモさん。
それに、直接相談を受けた何十人もの人々。それに、ポッドキャストの感想をくれる人々。
ぼくらはこの世界の下で確かにつながっている。
ぼくは自分のアイデンティティをそのまま表現しながら、このままの姿で多くの人とつながっている。
こんな体験は創作活動をするまで起こらなかった。
会社では多くの人と接することが多い。だけど、そこにいるのは組織に最適化させた自分であり、話し相手に合わせた自分でもある。ありのままの自分を表現できている感覚はない。
世界と真につながるためには、自己開示の繰り返しのなかで熟成されたアイデンティティが必要なのだ。
「自分の人生を生きているように感じられない」
もしあなたがそう感じるならば、ぜひ今回の放送を何度も聴いてほしい。きっとヒントが見つかるはずだ。
-Spotify
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-YouTube
それから、放送のなかでご紹介したミワカモさんの作品「レスになりたい妻」はこちら。セックスレスというデリケートなテーマに真剣に取り組まれている作品です。妻の気持ちを知りたいという男性にはめちゃくちゃおすすめです。
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