相手を変えたい気持ちは悪いことじゃない。誰でもできる具体的なセルフコンパッションワークとは?
今回のレターではお便りの内容と先生の回答、そして、あらためて僕自身が感じたことを書いておきたい。
まず1通目のお便りはこちら、いちこさんからいただきました。いちこさん、お便りとご質問を頂けたこと、とっても嬉しかったです。先生が前回の放送に対するリスナーさんの反応をとても気にされていた(難しかった?長すぎた?)ので、いちこさんのご意見はとても貴重なフィードバックでした。ありがとうございました!
ずっと楽しみにしていた回でした。 まず、お二人の優しい語り口がとても心地よかったです! 3回は聞かせて頂きました。笑
自分を犠牲にしてでも頑張る、 自分よりも相手に思いやりを向ける、等 それが日本人としての美学のような教育のもとで私も育ちました。 すべてが悪いとは思いませんが、家庭でも社会でも、まずは自分を満たしてからでないと周りも幸せにできないな…と最近は思います。
私は、アツさんのラジオがきっかけで、初めて自分の素直な柔らかい気持ちを認めていいんだと思うようになりましたが、今回のお話もそれと通じるものがあると思いました。
あと、相手に興味を持つ というお話や、結果をすぐに求めない、遅延してやってくるというお話も印象に残っています。 半年程前にコンパッションのことを知りましたが、そのときはどんな風に夫婦関係改善に役に立つのか正直よくわかりませんでした。
でも、自分なりにセルフコンパッションを取り入れながら今は関係が良くなっている実感があります。 (夫の顔を見るのも辛かった→ストレスがない状態→安心感が感じられるまでに)
それでも時々パートナーに変わってほしいと思うことがあります。 呼吸を整えたり、身体を動かしたり、辛いよね、そう思うのも無理もないよ、とセルフコンパッションするのですが、それだけではモヤモヤが解消しきれないことがあります。
相手をコントロールしたいと思う感情が出てきたときはどのようにしたらいいでしょうか? アドバイス頂けたら幸いです。
話が少しズレますが。 今海外で暮らしているのですが、現地の人は、 休みたいときは休む。 したくないことはしない。 その代わりに相手にも強要しない。 私は自由、あなたも自由。 これもある意味コンパッションなのかな、と感じることがあります。 これからの放送も心から楽しみにしています!
コンパッションに出会えたことは幸運なこと
「いちこさんがコンパッションに出会えたことは、すごく幸運なことですよね」と石村先生は何度もおっしゃった。
僕もそう感じるし、僕自身もコンパッションに出会えたことに感謝している。コンパッションはネットにあふれるHow toナレッジと違って概念や思考そのものだ。そして、それは人生への捉え方を大きく変えてくれる力を持っている。
コンパッション発祥の地は現代西洋だが、その起源は紀元前5世紀に生まれた仏教にある。世界人口の6.3%にあたる5億人が仏教を信奉している。古代から脈々と受け継がれてきた仏教の真髄が西洋的概念と融合し、現在を生きる僕らの足元を照らしているのだ。
コンパッションには仏教的要素があるため拒否感を感じる人もいるかもしれない。僕ら日本人は新興宗教の痛ましい事件をいくつも経験しているため、宗教アレルギーを持つ人が少なくない。僕だってそうだ。宗教っぽさを感じるものとは直感的に距離を置こうとする。
だが、「自分への思いやり、他者への思いやり」は悪いものとは思えない。人類が普遍的に必要としてきた要素なのだと思う。
人間は二足歩行をするようになったことで骨盤が狭くなり、お腹の中の子供が成熟する前に出産しなければならない人体構造になった。そのため、ヒトの赤ちゃんは他の動物と比べるととてつもなくひ弱だ。5〜6歳になるまで一人で獲物を取ることもできない。子育てしている僕らならわかるが、子どもに手がかからなくなるにはかなりの時間がかかる。うちの子達は9歳と5歳だが、まだまだ親の手が必要だ。馬の赤ちゃんなら生まれた途端に歩き出すのに。
だからこそ、僕ら人類はお互いに助け合うニーズが生まれたと言われている。他の動物と違って人類だけが発達することができた理由は、協力し合うためにオキシトシンを活用してきたからだ。
それを思うと、「自分への思いやり、他者への思いやり」といったコンパッションの概念は人類にとって違和感のない、あってあたりまえの感覚であると理解できるはずだ。
だが、資本主義が発達しすぎたこの社会では、「思いやり」が「弱さ」であると認識されやすい。そして、あまりもスピードの速い生活を生きているがために、「思いやり」を自分たちに向ける余裕すら生まれない。
そんな過酷な環境のなかで、本来の生物らしく生きられる考え方であるコンパッションに出会えたことは、確かに幸運だと思う。
相手を変えたいと思うのは「コントロール」ではなく、自然な「ニーズ」
夫をコントロールしたいと思う。夫に変わって欲しいと思う。一見、こういった考えは間違ったものであると思いがちだ。人は変えられない。変えられるのは自分だけ。だから、他者の変化を望んではいけない。僕らはそう教えられてきた。
だが、石村先生は「相手を変えたい」と願うことは、人間として当然の欲求であるという。それは感じていい気持ちなのだと。
例えばクリスティーン・ネフ先生が旦那さんとかパートナーとかに自分の怒りをぶちまけてしまうと。変わってほしいとか、これこれが嫌だったんだっていう。その後にセルフコンパション向けて、でもその感情は真実だから認めてあげよう。でもそれは自分にとって大事な感情だから分かってほしかったっていう風に認めてあげて、でも何か違和感とか何かその不全感みたいなところにも気づいていて、じゃあ今後どういう風に適切に言っていけばいいのかっていうところに象徴を当てるみたいな話を書いてあるんですよね。
先生が引き合いに出された本はこちら。セルフコンパッションという概念の生みの親であるクリスティン・ネフの著作「自分を解き放つセルフ・コンパッション」。かなり分厚いが読むのがワクワクする本だ。僕も今読んでいる最中だ。
「相手に変わってほしい」ことは相手に言ってもいいし、言わなくてもいい。言ってしまったら(ああ、変わって欲しいと思ってしまうよね。コントロールしたい気持ちって出てきちゃうよね)とセルフコンパッションをすればいいだけなのだ。
自分にとってもっとも大切な存在であり、もっとも距離の近いパートナーだからこそ、僕らは相手に強い期待をしてしまうし、自分にとってより良いと思える方向に変化してほしいと望んでしまう。
それは悪いことであるかのように言われているけど、そんなことはない。この世界に生きるすべての人がそう感じるし、それは人間として普遍的で当然のニーズなんだ。そこに罪悪感を感じる必要なんてまったくない。
パートナーが優しくなってくれるなら、もっとこちらを大切に扱ってくれるなら、それはものすごく嬉しいことだ。「他人は変わらない」と切り捨てても何も変わらず、ただ寂しい気持ちになるだけだ。僕らはもっと自分自身に寛容でいいのだ。
コントロール欲の背景にある柔らかな気持ち
いちこさんは「夫をコントロールしたくなる」と言った。だが、石村先生も僕はその裏に何かがあることに気がついていた。相手をコントロールしたい!言うことを聞かせたい!というオフェンシブな攻撃性ではなく、もっと柔らかなものがそこにあることを。
こうして欲しいな。ああして欲しいな。こうしてくれたらもっと嬉しいんだけどな。もっと毎日が素敵なものへと変わるんだけどな。この気持ちをわかって欲しいな。私にとって、この世でもっとも大切なあなたにわかって欲しいな。それが伝わらないことが悲しいな。
そういった柔らかな気持ちが、コントロール欲と名付けられたものの裏にあるのだと思う。
やっぱりコントロールしたいって気持ちの背景に、例えば実は寂しかったとか、悲しかった、これまで言い続けたのに分かってくれなくて、寂しかった、悲しかったっていう表現って結構大事だなと、思うんで、なんか伝え方も変わってくるかもしれないなと思いましたね。分かってくれない、私の気持ちを分かってくれないっていう寂しさとか、確かにその寂しさとか辛さとか悲しさっていうのが根元にある。
その気持ちを適切に伝えて、こうしてほしいっていう気持ちを伝えて、相手が分かってくれたときに、基本的に相手は変わんないかもしれないけど、分かってくれたっていうね、同じ感情を共有できたっていうことを、要するにコンパッションの関係性じゃないけど、相手と同じ感情を共有できたっていうこと自体で、多少収まるっていう。
悲しかった。寂しかった。私の気持ちをわかってもらえなかったことが悲しかった。そういった柔らかな気持ちを適切に伝えていく。伝え方に工夫は要るが、「わかってもらえた」という感覚が得られれば、問題のほとんどは解決していくのだと思う。
では、「適切」な伝え方とは何か?
変えられない部分に対する指摘は攻撃と捉えられる
言いにくいことを伝えることをネガティブフィードバックといい、そこにはいくつかのコツがあると石村先生は言う。一つはタイミングを見ること。
相手が疲れている時に伝えても話は耳にも心にも入ってこないし、場合によってはイライラさせてしまい喧嘩になりやすくなる。
僕も妻に相談事をする時、それはたいていポッドキャスト収録や記事執筆のためにこの時間が欲しいという話なのだが、絶対に夜に話さないことにしている。子供の宿題チェック、夕飯作り、習い事の送り迎えなどで妻が疲れ切っているからだ。
そんな時に妻に話をしてもまともに聞いてもらえない。妻は基本的に僕の話を断ることはないのだが、心から賛同しているわけじゃない。子供の相手と家事で走り回っている時に、僕が仕事でもないこの活動に時間を使うことに複雑な思いを抱いていることも確かだ。
ほぼマネタイズできていないから仕事とは呼べず、ライフワークと呼ぶなら趣味と同じであり、妻の負担がかからない休みの日にでもやるべきだ。どっちつかずの僕の活動内容が余計に妻を混乱させ、(了承はするけど納得はしていない)という不安定な状況を生み出している。
だから、僕は妻の疲労がピークに達している夜間にこの話はしないことにしている。以前何度かしてしまってとんでもないことになった… …。
だから、子供が会話に割り込んでこないタイミングを見計らい、妻が朝ごはんを美味しそうに頬張っている時に話をするようにしている。一日のうち、わずか数十秒。この瞬間を逃してはいけないんだ。
きっと、どんな夫婦にもそういった奇跡のような瞬間があると思う。ぜひその瞬間を逃さずに、パートナーに対するニーズを伝えてほしい。
もう一つのコツ、それは「変えられない部分への指摘」はしないということ。性格なんてそうそう変えられない。暗い人に明るく振る舞えなんて言ってもどうしようもないのだから。うちの妻は冗談ばかり言うのだが、同じようになれと言われても僕にはどうにもできない。持って生まれた性格はどうにも変えようがない。
もう一つのことは相手をリスペクトすること。「変わんなさいよ!」と一方的に責めるのではなく、敬意を持って接する。相手にだけ変化を押し付けるのではなく、自分自身の改善も考える。
人は怒るとどうしても自分が正しく相手が間違っていると思い込みやすい。僕にも心当たりがある。その怒りの性質が二人の間を引き裂くのだ。敵は夫でも妻でもない。怒りの特性、そのものなのだ。
また、先生は怒りの持続性についても触れた。これは個人的にとても面白かった。
怒り持続性を意識し手短に
怒り持続性という概念があり、パッと怒ってすぐに収まる人もいれば、怒りが収まらずいつまでも怒っている人もいる。子供に怒る時も夫婦で怒り持続性が異なることがないだろうか?
それは、怒りの感じやすさと持続性が人によって異なるからなのだ。パートナーに変化を求めるなら、長期間怒るのではなく短く終わらせた方がいい。自分の怒りやすさと怒り持続性を認識するとやりやすくなるはずだ。
また、怒りでコーティングされた感情の奥にある柔らかな気持ちを伝えることも重要だ。相手に対する自分自身のニーズを柔らかく投げてみるのだ。どうしても人は怒りに左右されてしまう。怒りは自分を守るための防御反応だ。そこから逃れることは難しい。
だが、それが「防御反応」であることを知り、怒りの下にある自分自身のニーズを受け止め、それが正当なものであると認めてあげれば、一気に楽になるはずだ。石村先生はコンパッションを極めた結果、怒りを感じることすらほとんどなくなったそうだ。
感情ではなく行動レベルで論理的に提案する
また、石村先生は夫にニーズを伝える時には「論理的」に提案した方がいいという。柔らかな気持ちを伝えることは論理とはかけ離れて見えるがどういうことなのか?
特に男性のパートナーに対して、フィードバックするときに長くなりすぎるっていう話をしたと思うんですけど、論理的に言うっていうのは大事かなと思います。例えば、こないだ私約束したよねっていう風に言って、今の言動だと守られてなかったよねっていう風に、要するに客観的な事実を伝えるっていうことが大事なんですね。嫌な気持ちになった相手の言動を伝えるっていうか、それが目に見て分かる形のものを取り上げるってことですね。
一般的に男性は論理的思考を好むと言われるが、これは仕事の影響がかなり大きいと僕は思っている。僕が最初に務めた職場は呉服屋だったが、そこで必要とされるスキルはロジカルではなくエモーションだった。逆にその後に働いた商社で必要とされたスキルはロジカルだった。
呉服屋では「もっと感情を出せ!」と指導されたが、商社では「お前はしゃべりすぎだ!思ったことを口にするな!」と怒られた。結局、商社は9ヶ月でクビになったが、その後の職場においてもロジカル思考は必要とされ、数年後、僕はグローバルビジネススクールでクリティカルシンキングを学ぶことになる。
グロービスでの学び、そして大量に読んだビジネス書のおかげで僕もすっかりロジカルが板につき、その後の仕事ではコミュニケーションに苦労することはなくなった。論理的思考は心地よいと感じるほど情報が整理しやすいため、ついつい家庭の中にも持ち込んでしまう。ただ、個人的にはエモーションとロジカルの間をさまようコミュニケーションが僕は一番落ち着く。
ロジカルだけでは寂しく、エモーションだけでは話が整理できないからだ。二つの世界を自由に行き来できる力が必要なのだと思う。
話を戻すが、論理的思考は長年ビジネスの世界にいた男性にとっては慣れ親しんだ概念であり、脳を動かすOSの一部にさえなっている。だからこそ、妻の言葉が論理的であるほど、頭にスッと入りやすいのだと思う。
そして、僕は思うのだが、そこにエモーションも含まれていると、頭だけではなく心にもアプローチできるため完璧なのだ。
いわゆる綺麗なアサーティブなコミュニケーションっていうのを目指されるのであれば、実は、アイメッセージって言うんですよね。ここ最近すごく大変だったワンオペでって言って。いやいや、あなたも大変なのわかるんだけど、ちょっと時間割いてくれない?みたいな。倒れちゃうよとかって言って言い方すると相手を責めてる感じしないですよね。
具体的に、じゃあちょっと金曜日と土曜日は休みたいんだけどなんとかなんないかなみたいな。じゃあ金曜日の夜早く帰ってくれないかなとか、土曜日だけ1日ちょっと寝かしてくれない?とかですね。具体的な行動レベルで言ってあげると、男性って論理的なんで、明示されてるんで、否定されてないじゃないですか。
アイメッセージは自分を主語にするアサーションのテクニックだが、そこに「あなたも大変なのわかるんだけど」と理解を示し、「ここ最近ワンオペですごく大変だった」と素直な気持ちを表現し、「土曜日だけ寝かしてくれない?」と具体的な行動レベルで提案をすると、エモーションとロジカルが入り混ざるため、男性の頭と心の両方に刺さりやすいのだ。
世の中の夫婦関係に関する記事を読むと、「男には論理的に説明すべし」と書かれていることが多いが、それだけでは頭には刺さっても心に刺さらないのだ。頭で理解できて、心に染み込むことで男は動くんじゃないかと僕は思っている。
「なんで私がそこまでしないといけないんだ!」と思う方もいるかもしれない。「悪いのは向こうなのに」と。だが、夫婦は精神的距離が近すぎるがゆえにコミュニケーションに気を使わなければいないことが理解できれば変わってくるんじゃないかと思う。
そのためにも、こういったアカデミックな知識がパートナーシップには必要なのだと思う。石村先生が言うには、昔の心理士はクライエントに教育をすることを禁止されていたため、パートナーシップに関する知識を教えなかったのだという。だが、最近はその流れが変わり、若い心理士はクライエントに知識を授けることが多いのだとか。
僕が受けたコンパッションワークでも、イギリスの臨床心理士さんが「クライエントへの心理教育は必要だ」と明言されていた。
いちこさんのお便りへの回答はここまで。いちこさん、ありがとうございました!
もう1通のご感想はcolloryさんからいただきました。colloryさん、貴重なフィードバックをありがとうございます!番組を聴いた方がどういったご感想を抱くか、なかなか知る機会がないのでとっても助かりました。
いただいたお便りはこちら。
大変興味深く、何度も拝聴しています。石村先生のお話はわかりやすく、具体例も親近感のわくもので、自分ごととして話を聞くことができました。
セルフコンパッションについて知りたいものの、本を読む時間がとれないため、次回は具体的なアクションなどについてご紹介いただけると大変ありがたいです。
またそのアクションがなぜ効果的であるのか、理由なども併せてお聞きできると理解が深まります。よろしくお願いいたします。
ご褒美タイムもセルフコンパッション
セルフコンパッションという言葉は親しみがないため、小難しく感じることもあるかもしれない。だが、意外にも簡単にできる方法があるという。
まず、ちょっとセルフコンパッションをわかりやすい表現に変えてあげると、自分に対するご褒美タイムみたいな。これも一応セルフコンパッションなんですよね。例えば、仕事を1時間頑張ったら認めてあげるとか。金曜日はちょっと旦那に任せて飲み会に行こう!みたいな感じのご褒美時間とか。これは概念的に違うんですけど、甘やかしてあげるっていうかね、ご褒美を与えてあげるっていうか、そういうのを日々練習しておくと、セルフコンパッションには近づいていきますね。
がんばった自分へのご褒美。これはとてもわかりやすい考え方だ。甘やかしととらえてしまう人もいるかもしれないが、自分に対する寛容さを僕らはもっと持っていいのだと思う。僕はそこがどうしても苦手で、わがままを言えなかった原家族の影響なのか、どうしても自分の楽しさをみずから遠ざけてしまう癖がある。
だから、あえて自分を甘やかす時がある。きつかった仕事の帰りにセブンイレブンで大好きなブリトーを買って食べながら帰るとか。在宅ワークの合間にファミリーマートに行きフラッペを買ったり(アウタヌーンロイヤルミルクティフラッペとゴディバ監修チョコレートフラッペはめちゃくちゃ美味しかった!)。
週末の夜は妻とお酒を飲むことが多いため、FLOという駅ナカの惣菜屋でつまみを買ったりしている。一週間の疲れをお互いにねぎらうためだ。
また、過去に夫婦関係学ラジオに出演いただいた臨床心理士 上遠文恵さんも、喫茶店で美味しいケーキを食べたりなど、積極的に自分を甘やかすことを推奨されていた。毎日は太るしお金もなくなるが、たまのご褒美なら全然ありだと僕も思う。
セルフコンパッションフレーズ
今回の石村先生のお話の中でもっとも印象的だったのはこれだ。簡単にできるセルフコンパッションワークとして、先生はこのフレーズを唱えることをお勧めされていた。この言葉の中にはセルフコンパッションの極意が含まれている。
今は苦しみの時である。
この苦しみは誰しもが経験している。
自分に優しさを向けてもいいだろうか。
自分は幸せになってほしいと心から願っている。
これはどういうことか?
まず、「今は苦しみの時である」というのは、自分が抱えている苦しみを受け止めてあげるということ。「この苦しみは誰しもが経験している」はこの世界に生きるすべての人間があなたと同じような苦しみを感じているということ。その苦しみを感じているのはあなたが最初でも最後でもない。人類に普遍的な苦しみなんだ。だから大丈夫、あなたは一人じゃない。ということです。
石村先生はcommon humanity(共通の人間性)と言った。これはセルフコンパッションの大切な概念の一つだ。少しわかりにくいかもしれないが、下の記事でも説明しているのであわせて読んで欲しい。
「自分に優しさを向けてもいいだろうか」とは自分への問いかけ、そして最後「自分は幸せになってほしいと心から願っている」、これは自分に対して幸せを祈るセルフコンパッションだ。
この言葉を口にすると、不思議なことにあたたかな優しさに包まれるような感覚を覚えるはずだ。僕はこの放送の収録日から何度も口にしている。いささか仏教的な感じもするが、その東洋宗教的な雰囲気も含めて僕は気に入っている。よかったらあなたも試して欲しい。
コンパッションは知識的な部分もあるが、スポーツのように身体知的な部分もある。何度もこのフレーズを口にすることで、セルフコンパッションの概念が体に染み込んでいくのだ。
呼吸法と嗅覚を使ったマインドフルネス
また、単なる深呼吸にもセルフコンパッションの効果がある。深呼吸は迷走神経を刺激し、瞑想神経はリラックス効果をもたらす副交感神経を活性化させるからだ。僕もコンパッショネイト・マインド・トレーニングを行ってからは仕事中に何度も深呼吸をしている。鼻からゆっくりと息を吸い、口からゆっくりと出す。ただそれだけで心が落ち着いてくる。
仕事をしていると時間に追われ、強いストレスを感じることがある。(やばい!これ絶対終わらない!どうしよう!)とパニックになりそうになることもある。そんな時にゆっくりと呼吸すると、そもそも間に合わないんだからどうしようもない。この仕事は少し後ろにリスケしようなどと、冷静な判断ができるようになるのだ。
先生は嗅覚を使ったマインドフルネスも簡単にできるセルフコンパッションであるという。サラダを食べるときに、匂いを嗅ぎ、シャキシャキ感を味わい、ああ美味しいなと嗅覚と味覚を使って味わうのだ。食への感謝はありがたさを受け止める練習にもなるという。
これらを日々繰り返していると、怒りにくい体質になったり、人のネガティブな側面ではなくポジティブな面に目を向けられるようになるという研究結果もあるそうだ。
瞑想を日々行なっている僧侶の脳波を調べると、常にリラックスしている状態なのだそうだ。悟りを開くというが、マインドフルネスがストレスを排除してくれることは間違いなさそうだ。
自律訓練法とピアニストタイピング
先生はコンパッションとは別に、何年も自律訓練法と呼ばれるものを続けているという。これを続けていると怒りにくい体質になるそうだ。
自律訓練法では、決まった言葉を心の中で唱えながら自分に暗示をかけていきます。この決まった言葉のことを「(言語)公式」といいます。公式は段階的にリラックスが深まるように構成されており、基礎となる背景公式と合わせて7つあります。
背景公式「気持ちが落ち着いている」
第1公式 安静練習「両手両足が重たい」
第2公式 温感練習「両手両足が温かい」
第3公式 心臓調整練習「心臓が自然に静かに規則正しく打っている」
第4公式 呼吸調整練習「自然に楽に息をしている」
第5公式 腹部温感練習「お腹が温かい」
第6公式 額部涼感練習「額が気持ちよく涼しい」
(https://snabi.jp/article/153)
リラックスできる姿勢になり、7つの公式のうちできるものをいくつか、または全てを順番にたどり、最後に「消去運動(消去動作)」をして元の心身状態に戻る、というのが自律訓練法の全体的な流れです。
ちょっとこれは実際にやってみないとわからないため、今度試してみようと思う。YouTubeに動画がいくつかあったので、こういったものを見ながらだとやりやすいかもしれない。
パソコンぼキーボードを打つときに、体をこわばらせて「カタカタカタ!タッーン!」と近強く打つ人がいるが、先生はどんなに忙しくても体はリラックスしており、指先だけが早く動くのだという。まるで熟練のピアニストのように。
僕なんて記事を書いているときにやたら背中に力が入っている。コンパッションと合わせて自律訓練法もいつかマスターしてみたい。
コンパッションの研修について
コンパッションはスポーツに近いため、実際に講師から習うのが一番手っ取り早い。本を読むよりワークに通った方がいい。僕も石村先生が主催するコンパッショネイト・マインド・トレーニングに通い、毎回居残って先生を質問責めにして、なんとなく体感できるようになってきた。
もしよければ直接学ぶことを検討して欲しい。費用は結構かかるが(確か2ヶ月で4万円?)、それだけの価値はあったと思っている。石村先生の講義は夜の19時からオンラインでおこなわれている。
先生の教え子さんで、昼間の時間にセルフコンパッションを教えてくれる人がいるかもしれないとのことで、確認をしていただいている。もしかしたら、夫婦関係学ラジオとこのニュースレターでご紹介ができるかもしれない。その時はぜひチェックして欲しい。
今回の放送回はこちら。ぜひあわせてお聴きください。
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